農業生産法人 有限会社ネクト
●静岡の日本茶生産者集団「有限会社ネクト」が、日本茶の選び方、美味しい入れ方、 産地や製法の情報をお届けいたします。
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 日本の『茶』栽培は、鎌倉時代 栄西(えいさい)禅師が中国より持ち帰った種を、佐賀県脊振山(せぶりやま)に植えたのが始まりだと言われています。その後、京都の明恵上人(みょうえじょうにん)が栄西より茶の実を譲り受け、栂尾で茶園を開き、全国に広めていきました。  それ以前にも、もともと日本の山間部の奥地に自生していた「山茶」を飲んでいたという節もありますが、はっきりとしたことは分かっていません。

いずれにしろ当時のお茶は、蒸した茶葉を揉まずに乾燥させる『碾茶』(抹茶の原料茶)で、疲労回復、延命などの薬、上流階級の人々の社交の道具として飲まれていました。

現在の煎茶の形は、江戸時代中期、京都の製茶家:永谷宗円(ながたにそうえん)が生み出した、日本独自のもの。“もっとおいしいお茶を作りたい!”という日本人の情熱は、旨味を濃縮させる為、陽の光に当てずに育てる『玉露』や『抹茶』。若葉の新鮮さを閉じ込め、茶葉の持つ旨味を最大に引き出す『青製』など、他の国々には無い独自の『日本茶』を生み出してきました。

世界の茶生産事情から見れば、緑茶は全体の20%程。そして日本の茶園面積はたった3%、生産量は4%。私たちが毎日飲んでいる『日本茶』はとても貴重な『お茶』であり、日本人の知恵と情熱の結晶なのです。


■静岡茶の歴史
「お茶」と言えば静岡。見渡す限り茶畑が広がる牧乃原台地は、明治維新後開拓された新しい産地で、もともとお茶は山間地で育てられていました。

NECTのある、静岡市内の安倍、藁科地区は本山と呼ばれ、800年以上の歴史を持つ由緒ある産地。

この本山地区にお茶をもたらしたのは、鎌倉時代、京都「東福寺」を開いた名僧・聖一国師(しょういちこくし)。彼は、藁科川上流にある栃沢の出身で、宋(中国)で仏教を学び帰国後、故郷である駿河国の足久保に茶の実を蒔いた…。と言われています。

この地域は、山深い傾斜地で、近くに川が流れ、深い川霧が辺り一面を包みます。茶の樹は、もともと山の植物。水捌け良く、寒暖差が大きい山の急斜面は、おいしいお茶を作るには最適の場所だったのです。さすが聖一国師。お茶の効能だけでなく、栽培についても多くの知識を持ち帰ったという訳です。

 時は流れ江戸時代。駿府(静岡)は茶問屋の町として発展。「茶町」には、たくさんの茶問屋が軒を並べ現在でも、日本茶業の中心地となっています。本山で作られたお茶は、献上茶として徳川将軍家に納められる程の高級品。

明治になり、茶が日本の主要な輸出品となると、新しい茶の産地が続々と登場し、生産量も増加。静岡は日本一の生産地となります。戦後、日本経済が豊かになると、お茶の消費は、国外から国内へと移行。牧之原や、富士山麓のような平地で、近代的な設備を導入し、効率的にお茶が大量生産されるようになってゆきます。

しかしNECTのある本山地区は、時代の流れにとらわれること無く、現在も山の急斜面で昔ながらの美味しいお茶を、愛情込めて作り続けています。

 
 
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